特集・ニュース

Purnendraさん、Jimさん、旭日章受章おめでとうございます!

2021年3月25、26日にアデレードで旭日章に関する叙勲伝達式が行われました。今回は2016年8月の Adam Wynn 在アデレード日本国名誉総領事 以来の叙勲伝達式となり、Purnendra Jainアデレード大学名誉教授とJim Stewart元AJA of SA(Australia Japan Association of SA / 南豪州豪日協会)会長がそれぞれ、旭日中綬章、旭日小綬章を受章されました。
Purnendra Jain氏は昨年春、Jim Stewart氏は昨年秋にそれぞれ受章予定でしたが、COVID-19のために延期となっていました。しかし、今年1月末にメルボルン総領事に就任された島田総領事が日本から賞状と勲章を自ら運ばれて今回の叙勲伝達式が執り行われました。

Purnendra Jain氏

Jain3a.jpg <「旭日中綬章」受章の経緯>
Jain氏は日本・オーストラリア間の学術交流の促進及び関係強化に寄与したとして、令和2年春の外国人叙勲受章に至りました。 Jain氏はアデレード大学教授として24年間に亘り日本研究に携わり、日本の政治経済について、また日亜・日豪関係について教鞭を執りました。更に研究の成果を4冊の著書にまとめ出版し、オーストラリアン紙やエイジ紙等の著名な新聞に寄稿するなど、豪州における日本の政治や経済への理解促進に大きく貢献しました。また、元豪州日本研究学会会長、元豪州アジア研究学会会長、元豪州国際問題研究所南豪州支部副部長という経歴を持ち、研究者間でもリーダーシップを発揮し、豪州にとどまらず他地域へも対日理解を深める機会を提供した功績があります。

Jain3a.jpg<Jain氏の受章挨拶(簡易訳・内容一部抜粋)>
まず始めに、島田総領事を始めとする日本政府関係者の皆様、本日ご出席の皆様、同僚、友人、家族に心より感謝します。 この度、旭日中綬章を受章できることを大変恐縮するとともに光栄に思っています。旭日中綬章は日本政府によって授与される勲章のうち、学術関係の分野では最も高いレベルのものと理解しています。本当に名誉あるものと感じています。
私の日本との出会いは40年以上前に遡ります。私はインドで軍事防衛の分野に従事していましたが、新しいキャリアを築くため、政治学の修士課程で日本について研究することにしました。当時の日本は、ベストセラー"Japan as No.1"という本が象徴するように、その経済成長ぶりが世界から注目される存在で、日本は私にとってとても魅力的な国でした。

Jain3a.jpg1978年から私はデリー大学で東アジア地域の歴史、文化、社会や政治について幅広い知識を得るとともに日本語も集中的に勉強しました。1980年に渡日して東京大学で学びながら1年間日本で生活をしましたが、様々な交流や経験を得ることができ大変有意義なものとなりました。その時に築いた研究者、政府機関関係者および政治家との人脈はその後長期間に亘って私の日本に関する研究活動の支えとなりました。そして、その後私は50回近く日本を訪れ、リサーチや教育、プロジェクト実践など活動を続けています。
私の最初の日本訪問はまた、私とオーストラリアを結びつけました。日本で出会ったオーストラリア人の教授から、オーストラリアでPhDをやってみないかと誘われたのです。私は1982年にオーストラリアに渡り、1995年にアデレード大学のアジア研究の教授としてのキャリアをスタートさせました。その後は24年間に亘ってたくさんの博士課程、修士課程の学生に日本のことを教え、卒業生の中にはオーストラリア政府や大学教授、またビジネスの分野でも広く海外で活躍している人も多くいます。
日本はオーストラリアにとって重要な国です。経済や安全保障面での繋がりはもちろん、人の交流面でも強い関係があります。日本語はオーストラリアで最も学ばれている外国語でもあります。
私のオーストラリアでの日本研究人生は大変充実したものになりました。日本研究を選択した私はとても幸運だったと思っています。今も私は日本のことを研究し、オーストラリア国内や世界の様々なところに寄稿などを行なっています。私の日本研究の旅はまだ続きます。

Jim Stewart氏

Jain3a.jpg <「旭日小綬章」受章の経緯>
Stewart氏は日本・オーストラリアの地域間交流及び相互理解の促進に寄与したとして、令和2年秋の外国人叙勲に至りました。 Stewart氏は12年に亘りAJA of SA(以下AJA)の会長を務め、様々な観点から南豪州における日豪の友好関係を強化することに貢献しました。同協会の質を高め、茂原祭りや日本文化祭等多くの催しを成功させることで南豪州における日本文化への関心が高まり、理解が深まりました。また南豪州に留学等で訪れる邦人が日本文化に興味を持つコミュニティーに参加する機会を提供し、日豪の草の根レベルでの友好関係に寄与した功績があります。

Jain3a.jpg<Stewart氏の受章挨拶(簡易訳・内容一部抜粋)>
このような賞を受章できることは夢にも思ってなく、信じられない気持ちでいます。
受章にあたり、島田総領事を始め日本政府関係者の皆様に心より感謝します。特にメルボルン領事館の皆様には今回の受章に関する多大なご尽力ならびにこれまでのAJAに対するご支援に対し御礼申し上げます。
私が最初に日本人および日本文化に本当の意味で接したのは1989年にNorthfield High Schoolに就任した時でした。当時の校長から、姉妹校である岡山県立城東高校の先生をホームステイ先として受け入れるように依頼されたのです。その時の経験が私の人生を変えました。私はその後13年間に亘って日本からの先生を我が家でホストさせていただくと同時に、交換プログラムの引率として自分の学校の生徒たちを連れて日本の姉妹校を訪問しました。また、1998年には姫路で1年間外国語補助助手として従事しながら日本についての見聞を深めることができました。

Jain3a.jpg2002年、私は正規教員を退職して臨時教員となっていくつかの学校を担当しましたが、幸いなことにどこの学校も日本の学校との交換プログラムを持っていました。そのため私の日本との関係は続き、先生方のホームステイ受け入れも継続することができました。遠足や英語クラスなど交換プログラム内容の作成も担当させていただき、本当に充実した時間を過ごすことができました。
そして2003年にAJAに参加したことが再び私の人生を変えました。AJAに参加してすぐに、自分のこれまでの経験が自分をここに導いたのだと感じました。これまでの学校のプログラムでは私は1年に1回日本人との新しい出会いがありましたが、AJAではもっと頻繁に日本人と出会い、日本の文化に触れる機会があることが私には嬉しかったです。
翌年、当時のAJA会長の退任に伴い、私は会長のポジションを引き継ぎました。その際、私は既に日本の学校のことや交換プログラムについては精通していましたが、アデレードの日本人コミュニティのことやAJAのような豪日グループをどのようにリードしていけば良いのか分からなかったため、委員会の方でも私をサポートしてくれることをお願いしました。委員会のメンバー達は快く同意してくれ、そのサポートはその後の数々の実績の基盤となったのです。
2週間毎に開催していた定例会は活性化され、より多くの若い日本人が参加して友達を作ったり、ローカル情報を得ることができる場所となりました。成人式、節分、クイズナイト、クリスマス忘年会、AGMディナーなどイベントも開催しました。また、会報誌"AJA Bulletin"も発行しました。
より大きなコミュニティ活動として「茂原祭り(the Salisbury Matsuri on Mobara)」や「日本文化祭(Burnside Library Japanese Cultural Day)」、日本人形展(Japanese Doll Exhibition)」も開催しました。これらのイベントでは委員会と多くのボランティアの方々のサポートをいただきました。また、「OzAsia フェスティバル」や「オーストラリア・デー 多文化パレード」などローカルイベントへの参加や、2011 Tohoku tsunamiの義援金活動およびその後長年に亘っての追悼セレモニーなども行ってきました。
私はAJAの会長として数々の活動に携わってきましたが、委員会メンバーの協力と努力があってこその成果だと思います。私は自分がした以上のことを得たと思っています。そのため、今回名誉ある勲章を受章させていただきましたが、この勲章はAJAのメンバーたちにも属するものだと感じています。
私は、自分がすべきだと思うことをすることがただ幸せでした。それは出会った日本人の助けとなり、友達になることに他になりません。

取材:2021年3月

旭日章に関す詳細は内閣府のホームページをご覧ください。
勲章の種類及び授与対象