野田 亨(あん摩マッサージ指圧師 / Acupuncturist, Shiatsu Therapist, Moxibustion Therapist)
視覚を失っても社会貢献を
鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師 / Acupuncturist, Shiatsu Therapist, Moxibustion Therapist
野田 亨(のだ とおる)
先天性の視覚障害、網膜色素変性症により視覚を失いながらも、東洋医学への情熱を源に、野田さんはアデレードで社会に貢献していくことを目指している。
アデレードへ
2008年に当時の妻と2歳の息子と一緒にアデレードに移住してきた野田さん。アデレードは、日本で自衛隊に勤務している頃に出会った妻のホームタウンだった。野田さんは先ず、ビザの要件もあり英語力を身につけるためにも語学学校にしばらく通い就職先を探し始めたが、状況はなかなか厳しく、「自分には何ができるのか」を自問する日々だったという。語学学校はランドルモールに近く、バスキングと呼ばれる路上ライブがそこで行われていることを知っていた野田さんは、得意のギターを持ち出して自らバスキングをするようになった。するとまもなく、イベントや結婚式にも呼ばれてギターを披露するなどギターの活動の幅も広がっていったが、並行して目の病状の進行を実感するようになり、将来に強い不安を持ち始めたという。
網膜色素変性症は、網膜の視細胞が遺伝的に障害を受け視機能が低下する病気で、難病に指定されている。罹患者が一般的にそうなるように、野田さんも夜盲(やもう)を初期症状として徐々に視野が狭くなっていったという。自衛隊勤務の頃はまだ日中は問題なかったものの、夜盲により夜間訓練には苦労があった。アデレードに来てからも症状は進行し、その後も徐々に視覚が失われ、現在は両目の視野の95%以上を欠損し、かろうじて見えている箇所も真っ白なモヤがかかっているような状態という。
アデレードに来てからも病状が進行していく中、当時野田さんが出した結論は、家族で一旦日本に帰り、自らは盲学校に入って鍼灸師の資格をとることだった。39歳だった野田さんは、盲学校での日々をこう振り返る。「アデレードでの英語の勉強は大変でしたが、今度は日本語で学べるのでそれほど苦労はないかと思っていました。でも実際は盲学校での勉強はさらに大変でした。歳ということもあったかも知れません」。そう言いつつも野田さんの努力は実を結び、3年間の盲学校を修了する時に鍼灸師の国家試験を見事パスした。そして盲学校卒業後1年間は日本で鍼灸師としての経験を積み、息子の小学校卒業を機に再び家族でアデレードに戻ってきたのだった。
東洋医学という選択肢
日本で鍼灸師の資格を得た野田さんだったが、オーストラリアではAcupuncturistの資格は取得しておらず、また日本の資格をオーストラリアで転用することもできない。プライベート保険を使いたいというニーズが高い現地では、保険が適用されない鍼灸の施術は受け入れられづらく、野田さんはもう一度頑張って今度はオーストラリアのRemedial Massageの資格を取得した。また、Remedial Massageの一環としてDry Needlingの講習を受けることで、現地で鍼の施術もできるようになった。
こうして野田さんは改めてアデレードでの仕事の機会を模索し始めたが、その壁は依然高かった。障がい者雇用サービスを利用して面接に多く足を運んだものの、採用されることはなかったという。「デモンストレーションでマッサージをさせてもらうと良いリアクションを得られるのですが、いざ『障がい者と仕事をする』となると不安や戸惑いがあるというのが本音なのかもしれません」。
そこで野田さんが出した結論は、自宅を利用して自分の施術所を立ち上げることだった。自宅を仕事場にすることで移動がなくなるばかりでなく、自分の使い勝手に合わせてレイアウトできるため仕事が格段にしやすくなる。患者さんからは「見えてるように動きますね」と言われるほど、見えなくなっても問題なく施術ができる環境を作ることに成功した。
2023年10月に今の場所に移って患者さんもつき始めた野田さんだが、実はその前には私生活で大きな変化があった。離婚をきっかけに20年ぶりの一人暮らしとなったのだった。オーストラリアにこのまま残ることへの疑問と目に対する不安。日本に帰ることも野田さんにとっての選択肢となったが、一方で、自分ができることやしたいことを見つめ直した時に改めて実感したのは「鍼をもっと勉強したい、経絡治療をどうしても学びたい」という自身の内なる熱意だった。
東洋医学的な考えでは、人の体には経絡が何本か通っていて五臓六腑に繋がっているため、部分的ではなく、体全体を診て、鍼で経絡を刺激することで体質改善に効果のある治療ができると言われている。「日本には経絡治療で慢性病もそうですが、潰瘍性大腸炎や線維筋痛症など治癒しているケースもあります。私自身とても驚きましたし、西洋医学の限界と同時に東洋医学の大きな可能性を感じています」。野田さんはアデレードに残って経絡治療への研鑽を積んでいくことを決心した。
野田さんの施術は患者との対話から始まる。カウンセリングで体の不調の内容や周期、時期、さらには感情的なことなどを総合的に聞きながら、五臓に当てはめていく。そして症状と患者の希望を柔軟に組み合わせて、マッサージ、指圧、鍼、灸を組み合わせていくという(プライベートヘルスカバーの適応はマッサージのみだが、患者との話し合い次第で鍼なども対応している)。「ある患者さんは、主訴は腰痛と頭痛だったのですが、体全体を診て治療を続けた結果、主訴の改善に加えて酷かった花粉症も的面に改善されました。人それぞれ体質があって、その体質のためにある特定の症状が出やすいということもあります。"未病"(病気になってからそれを治すよりも、病気になりにくい心身をつくることで病気を予防し、健康を維持する)という考え方のもと、日本人ならではのアドバイスも含めて東洋医学という選択肢をアデレードで広めていきたいです」。
社会に貢献できる
最初にアデレードでの生活を始めた際にギターでバスキングをしていた野田さんは、ギター歴は30年以上で自作のCDも制作し、今でも1-2ヵ月に1回はボランティアとしてカフェでギターを弾いている。「人前で演奏するのが好きです。見えなくなるまでやろうと思っていましたが、見えなくなった今も弾けるのでこのままやっていこうと思っています。おもしろいことに、自分にとって"ギター"という存在がやり始めた頃とは全く異なってきています。目が見えなくなってからはギターを通じて自分に向かい合えるんです。そんな自分のギターが、聴いてくれる人に届いてくれたら嬉しいです」。
日常生活では、外出など部分的にNDIS(National Disability Insurance Scheme)からのサポートを受けることに慣れてきたという野田さんだが、自分は障がい者になってもまだ社会に貢献できるという思いは強くなってきているという。
「それはマッサージや鍼だったり、ギター演奏だったりするのですが、いずれにしても自分ができることは限られているので、逆にフォーカスしやすい部分はあります。目が悪くなっていく中で自分は萎縮していました。萎縮している時は社会から孤立した感覚です。でも、何もしないとそのまま萎縮していってしまうだけという状況の中で、東洋医学の存在が自分と社会をまた繋げるきっかけになってくれました。ギターも自分が演奏することで喜んでくれる人がいます。そんなことが積み重なって少しずつポジティブになってきました。これからも目は悪くなっていき問題も出てくるとは思いますが、このままアデレードで頑張って社会貢献をしていかれたらと思っています」。
見えないからこそ見えること、感じること。野田さんは自身の感性と情熱に向き合いながら、人と社会の役に立つことを願っている。
取材:2025年4月
ADELAIDE BLIND MASSAGE JiPANG
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