アデレードで頑張る人を応援

西上 すぎか(Ashford Hospital 看護師)

人との出会いを通じて

Ashford Hospital 看護師
西上 すぎか(にしうえ すぎか)

アデレードで看護師として活躍する西上さん。7年目のベテランとして病院ではチームリーダーの役割も果たしているが、実はもう一つの顔はフラメンコの先生。共通することは人との出会い、技術と経験、そして学び続けていくことだという。

看護師としての新たなチャレンジ
日本での6年間の看護師生活の中で西上さんが考えさせられたことは、労働環境の改善について。海外での看護師の位置づけやプロ意識を日本と比較すると疑問は大きくなっていったという。かねてから英語を勉強していたこともあり、西上さんは「英語をもっと上達させて海外でチャレンジしてみよう。新しいことを学んでみよう」と決心。アデレードを留学先に選び、2003年に新たなスタートを切った。

1年間の語学学校の後、フリンダース大学の看護師コースに入学。修了後すぐにAshford Hospital外科病棟で、オーストラリアの看護師としての生活が始まった。看護師と患者の人数の割合や薬の使い方など、日本との違いを実感する中でも最も印象的だったのは、看護や介護の現場から職業病としての腰痛をなくすためにオーストラリアが世界で初めて提言した"ノーリフトポリシー"(持ちあげない看護・抱えあげない介護:危険や苦痛の伴う人力のみの移乗ではなく、患者の自立度を考慮した介護機器使用による移乗介護を義務付けたもの)。

西上さんは、看護士コースを共にした友人が日本に帰国後設立した日本ノーリフト協会の活動にも協力し、一時帰国の際は協会の活動に参加したり、日本からアデレードに視察に来る人たちのサポートも行っている。

「日本の看護の現場の未来に少しでも貢献したい。働く人の心の問題に対しても何か役に立てたら」。西上さんはそんな気持ちから最近まで日本の大学の通信講座で心理学を学び、今年からアデレード大学の大学院で労働安全衛生を学び始めている。

フラメンコとの出会い
フラメンコとの出会いもアデレード。病院勤務が始まった頃、英語の問題などもあって辛いことも多く、自分のアイデンティティが崩れそうになったときだったという。元々踊りが好きだった西上さんだが、いざ始めてみると「はまりました」と自ら語るように、普段の練習に満足せず、スペインへの"フラメンコ留学"を2度にわたって敢行。その成果もあり、今ではStudio Flamencoの先生としてクラスを受け持つまでになった。
「フラメンコは他の踊りに比べて背の高さや年齢、体力など肉体的な優位性がなくて、決まった型などもありません。自分のスタイルを持っていい自由な踊りです」。

これから
看護師にもフラメンコにも共通しているのが"人との出会い"であり、技術と経験、そして学び続けていくことが大事、と語る西上さん。
「オーストラリアでは施設に入る老人への虐待防止も政府主導でとても進んでいます。例えばそういう団体の設立だったり、ノーリフトポリシーの普及だったり、歴史に名前が残るようなものでなくても、日本でもオーストラリアでも、その社会にとって重要なものを生み出すような人間になれたらいいですね」。

西上さんはこれからも人との出会いを積み重ねながら、社会への貢献のために学び、そして活動を続けていく。

取材:2012年3月