アデレードで頑張る人を応援

指宿 洋史(サッカープレーヤー / Professional Soccer Player)

一人一人が集まって大きな力に

サッカープレーヤー / Professional Soccer Player
指宿 洋史(いぶすき ひろし)

オーストラリアのサッカーAリーグ、アデレードユナイテッドFCのFWとして活躍する指宿さん。スペインでプロサッカー選手としてのキャリアを開始し、日本を経て2022年に移籍したアデレードは、自身の目指すサッカーを体現する場所、そして家族で落ち着いて暮らすホームになっている。

サッカー少年からプロサッカープレーヤーに

指宿さんがサッカーを始めたのは幼稚園の時。小さい頃におじいちゃんとボール遊びをしているうちに、気がついたらサッカーが好きになっていた。両親は特にサッカーを勧めるというわけではなかったが、いつも自分が好きなことをすることに対してとても積極的に応援してくれたという。小学校に入っても、保護者がコーチを務めるような地域のクラブでサッカーを楽しみ、2年生になると地元のサッカー専門のクラブチームに移ってもう少し本格的に、でも楽しくサッカーを続けた。そして、4年生になった時に柏レイソルに入団。200-300人応募してパスするのは10人ほどという難関をクリアした。日本では選手登録の仕組みにより、クラブチームと学校のクラブの双方に在籍することはできないため、指宿さんは、中高校は学校のサッカー部には入らずに柏レイソルに在籍してサッカーの実力を伸ばしていった。

柏レイソルで活躍していた指宿さんは、アンダー世代の日本代表チームにも選出されて色々な国に遠征して貴重な経験を積むほか、柏レイソルのメンバーとしてもヨーロッパを中心に世界に出てサッカーをする機会に恵まれた。当時学校では、サッカーの遠征による欠席を公欠扱いにしてくれたため出席面での問題はなかったが、気になるのは勉強面の遅れだった。しかし、サッカーと勉強の両立が小さい時からしっかりと身についていたため勉強は学校でもトップクラスで、成績は9割方が「A」の評価だったという。指宿さんは高校3年生の1月にスペインに渡ることになるが、それまでの成績、出席にまったく問題がなく、3学期を全て休んで試験を受けなくても卒業には支障はなかったほどだった。

そんな高校3年生の時に指宿さんはJリーグのチームからオファーを得て、ほぼ内定もしていた状態だったが、ちょうどその頃に日本にいたスペインのチームのスカウトから声をかけられた。
「漠然とヨーロッパに行きたい、海外で活躍したという意識がありました。当時はスペイン、イングランド、イタリアがとても強かったですし、スペインには遠征でよく行っていたので、スペインには興味を持っていました」という指宿さんは、Jリーグのチームから了承を得てスペインのチームにテスト参加したのだった。1週間チームの練習に参加してチームから言われたのは「このままここに残ってくれ」という言葉だった。アマチュア契約ではなく、プロ契約をオファーされたのだった。指宿さんは憧れていたスペインでのプロ契約を実現し、学校のことがあったため1度帰国。そして高校3年生の2学期を終えた2009年1月1日、プロサッカー選手としてのキャリアを開始するために、単身スペインへと旅立った。

国による違い

スペインで益々サッカー選手として成長して自身のキャリアを飛躍させた指宿さんだが、最初は言葉には苦労もあった。スペイン語がまったく分からない指宿さんにチームは通訳を手配してくれたが、「通訳がいると頼ってしまって言葉を覚えなかったですね」と自身で振り返る通り、指宿さんは言葉の壁もあってこのままではチームに溶け込めない、言葉を習得できないということで、半年で通訳は無くなった。代わりに週に2回、2時間のマンツーマンで、スペイン語しか話さないスペイン人の先生とのレッスンを受け、そこから一気に成長したという。「その場でなんとかコミュニケーションと取らざるを得ない状況で効果的に言葉を学べました」。

現地に根差し、チームを変えながらトータルでスペインに4年半、その後ベルギーで1年を過ごすうちに日本に戻るきっかけが訪れた。「22-23歳でもう若手ではない年齢になってきていました。ヨーロッパで活躍していないという訳ではなかったですが、もう一皮剥けたいという思いもありました」
その頃、ヨーロッパやアメリカなど様々なところからオファーが来ていたが、その中には日本からのオファーも含まれていた。そして自分のキャリアを高めていくことを総合的に判断した結果、指宿さんが選んだのは日本だった。高校の卒業式を待たずにスペインに渡ってから約6年を経ての日本サッカーへのカムバックとなった。

「サッカーは国によってまったく違います。別の競技と言ってもいいほどです」と語る指宿さんは日本でも4つのJリーグチームで合計約7年を過ごしたが、その間、国によるサッカースタイルの違いを痛感したという。
「どちらが良い悪い、進んでいる、ということではありませんが、スペインでは個々のフィジカルも戦術も技術もレベルが高く洗練されたサッカーが展開されていました。一方で、組織的で協調性が大事な社会の日本では、それがサッカーにも通じている部分がすごくありました。スペインで育った自分にとっては、それまでの常識がなかなか日本では通用しなかったです。誰がどこで出ても同じようなことを求められ、組織の中の一員になるという部分で苦労がありました」
日本では、サッカーに関してはなかなかイメージしていたようには進まず、自分がやりたいことからかけ離れてしまった、と感じ始めていた矢先に指宿さんにオファーを出したのはアデレードユナイテッドだった。

アデレードから

オファーを受けるまでアデレードがどこにあるのかも分からなかった指宿さんだが、アデレードについて調べてみたり、知り合いに聞いたりして良いところなのだろうなと思ったという。
到着は2022年1月。これまでシーズンオフには毎年出ていた海外だが直近の数年間はコロナの影響でそれもできていなかったこともあり、アデレードに降り立った時は「やっと海外にきた」と実感し、ワクワクする気持ちが大きかった。

現在2年目のシーズンも終盤を迎えているが、「オーストラリアのサッカーは近年レベルも上がってきていて、面白いし魅力的です。日々学んでいます」と指宿さんはオーストラリアでのサッカー生活に手応えを感じている。
「オーストラリアでは、何が長所かというところに着目していると思います。あなたの長所はこれ、彼の長所はこれ、できないことは他の得意な人に補ってもらう、みんなが長所を出し合ってチームを作っていく、という考え方です。裏を返せば、自分が得意なことで結果を残せなければもう終わりなので厳しい世界ですが、自分としてはその方が居心地は良いですし、合っているのだと思います」

指宿さんにとってアデレードは、プロサッカープレーヤーとしてさらに自分を高めていく場所であるとともに、家族でゆっくりと生活する場所でもある。
「どこに行っても緑豊かで子どもに優しく、安全でつくづくとても良いところだと実感しています。日々そういう思いが強くなっています」 そんな気持ちは指宿さんの違った一面も引き出している。
日本人でAリーグに在籍している、またアデレードという素晴らしい場所で生活をしている自身の立場から、もっともっと日本人にアデレードを知ってもらいたい、そしてアデレードの人たちにも日本の魅力をもっと知ってもらいたい、と考えている。
「文化でもビジネスでも、アデレードと日本の交流を発展させるために力になれることがあれば積極的に関わって取り組んでいきたいです。サッカーもそうですが、一人ができることは限られていても、みんなそれぞれ自分ができることをやって力を合わせれば、いつか大きなことができると思います。アデレードに住んでいる日本の人たちと一緒に少しずつ、ベースから作っていっていくような活動ができたらいいなと思います。日本からもっとアデレードに人が来るようになって、直行便も飛ぶようになると良いですね。スポーツ選手は現役の時にこそ価値があるので、自分が今現役で頑張っているうちに小さなことでも良いので何かを始めたいと思います。アイデアがあれば教えてください!」

アデレードからまた新たなチャレンジを始めた指宿さんは、みんなで喜びを分かち合うゴールを目指している。

取材:2023年3月