Adelaide & Me

鈴木真吾さん

このコラムでは、アデレードでかつて生活をしていて今は日本に帰国されている方に、アデレードでの経験やアデレードの好きなところ、帰国後のことなどについて伺っています。

鈴木真吾さん(Shingo Suzuki)
アデレード在住: 1996年―2010年

アデレードに来たきっかけは?

きっかけは父親です。父親は自営業をやっていたのですが、それも辞めて、僕ら子供達(二人の姉および妹と僕の計4人)の将来の為に人生の勝負に出た、ということのようです。

どんな気持ちでアデレードに来ましたか?

「オーストラリアに引っ越すから」と伝えられたことだけはなんとなく憶えている様な、憶えていない様な、というくらいで、父親に何か質問をした記憶は特にないですね。そのころは単純に何も考えていなかったんじゃないですかね(笑)。12歳だったし、家族と一緒だったので「これからオーストラリアに住むんだ〜」という程度で、自発的な目標などはまったくなかったような気がします。

来た時の印象はどうでしたか? カルチャーショックなどはありましたか?

僕は小学校2年生の時からサッカーをしていたのですが、サッカーのイメージが強いヨーロッパや南米などの国々と比べてオーストラリアに対しては特に明確なイメージはほとんどありませんでした。それこそ、「コアラ」や「カンガルー」すら出てこなかったですね。(笑)アデレードに着いた時の最初の印象は「空が青いな」だったと思います。カルチャーショックということでもありませんが、現地の小学校に入って驚いたのは、(アジア人は僕と妹のみだったので)「人が違う! 学校の造りが違う! 学校でみんなお菓子を食べている!」 ということでした(笑)。

小学校から現地の学校に通われたということですが、学校生活はどうでしたか?

英語が全く喋れない状態で現地の小学校に入り、当然のように学校では周りの子供達や先生が何を喋っていたのかはサッパリ解りませんでした。よく、「英語なんて、気持ちがあれば伝わるよ!」とか「ボディーランゲージで何とかなるよ!」という意見も耳にしますが、それら意見に対し、僕は自分の経験に基づいてはっきり言えるのは、「そんな訳ない」です(笑)。残念ながら、そんなに甘くなかったです。
でも、そんな状況を救ってくれたのは、サッカーでした。休み時間にサッカーをしているグループに混じって遊ぶようになったら、そこから急に世界が広がっていったんです。自分の得意分野があるとそれが話すきっかけになる。「その会話だったら何とか入って行けるかも」という自信が生まれ、自信を持つと自分の得意なものから枝を広げてもっと話せるようになる。そのことはその後の僕の学校生活にとって貴重な体験となりました。
ハイスクールに入ってYear 10くらいまでは授業はまあ比較的簡単だったと思います。中でも、あまり英語力を必要としない分野という意味でも数学は頑張っていました。そして、数学も自分の得意分野となることで、数学をきっかけに友達を作ることもできました。

Year 11-12になってくると選択科目も多くなり勉強も本当に急激に大変になりましたが、その頃に思ったことがありました。それは、自分がなりたい将来像を明確にし、逆算をしていくと言うことです。それはつまり、将来自分が何になりたいのかを考え、それをイメージし、そのためには大学で何を専門的に学ぶ必要があるのか、そしてそのためには高校で何を勉強しなくてはいけないのかという考え方が高校での教科選択に反映されている、と言うことです。当たり前の様で、実はすごいということだと実感しました。"とりあえずやる"というよりはきちんと目的があって、その目的は将来のことを考えた先の方にある。日本とは真逆だなという印象を持ったことを覚えています。
僕はエアラインのパイロットになることを目的にしていたので、そこから考えて大学は(アデレードに存在する大学の中で唯一航空学部が存在した)University of South Australia(UniSA:南オーストラリア大学)の航空学部を目指して、そのために必要な勉強を高校でしました。

大学、そして就職の方はいかがでしたか?

無事にUniSAの航空学部に入ることができ、いよいよパイロットを目指す日々が始まりました。大学の勉強はとても実践的でした。数学や物理などに併せ、ナビゲーションや気象などについても学びましたが、自分が選んだ航空学という分野での勉強なので、やらされているという感覚もなくておもしろかったです。「もっと知りたい」という気持ちも強かったですが、正直めちゃめちゃ難しかったです(笑)。
3年間は地上で教科を学び、学位を取るあたりから実際の飛行訓練も始まりました。訓練はUniSAのフライトスクールがあるParafield Airportで行われ、2年半の訓練を通じて複数の学科などの試験と併せてプライベートライセンスと呼ばれる小型飛行機の操縦士免許を取得することができました。
就職にあたっては、海外のエアラインの場合、自分で飛行時間を稼いである程度の飛行時間が貯まった時点で(事業用操縦免許保持者対象の)パイロットとして応募できるため、プライベートライセンスを取得した後にインストラクターライセンスを取得するという方法もあります。インストラクターとして生徒と小型飛行機に乗って飛行時間を増やすためです。でも、実は当時はタイミングがとても悪く、JALもANAもアジア系の他の航空会社もすべて公募がない状況でした。また、カンタス航空はオーストラリア国籍者でないと応募ができなかったため、パイロットとしての就職先は数十人乗りの中型の旅客機でオーストラリアの地方を運航するREX(Regional Express)のみが現実的な選択肢でした。REXはオーストラリア国籍がなくてもとりあえず応募はできたからです。書類選考、適性検査、筆記試験、に関しては無事通過したものの、最終的な面接で合格できなかった、という事もあったりした中、その時に僕が考えた末に至った結論は、「もうまったく違うことをしてみよう」ということでした。元々日本のエアラインでパイロットになりたいと思ってやってきたし、自分のやることは妥協して、例えばインストラクターになり小さい飛行機を飛ばす、といったことではないと思ったからです。その後も2年ほどは飛行訓練や、事業用操縦免許に向けての筆記試験などを受けるなどの作業を続けながらアルバイトをするという、自分の中ではモヤモヤした生活を送っていましたが、退路を断つためにオーストラリアを離れて単身日本に帰国することを決めました。パイロットの道以外を行くと決めたからには、オーストラリアに残る選択肢は自分の中にはありませんでした。なぜなら、マーケットサイズなど、(ほぼ、どの業界も)ビジネス観点から見た場合、明らかに日本の方がサイズ感が圧倒的に大きいと感じたからです。



飛行訓練の様子。アデレードのパラフィールド空港からビクトリア州まで飛行した。(大学時代。2006〜2008年頃)

大きな決断でしたね。どのような道に進んだのですか?

日本での仕事を考えた時に、パイロット以外の道としてコンサルティングの仕事に興味を持ちました。僕は数学が好きだったこともあって、存在する問題を、例えば数学的観点から解くなどという意味で何か通じるものを感じる仕事だと思ったからです。そしてコンサルティングの仕事をインターネットで探している時にたまたま広告代理店という存在が浮かび上がってきて、日本に(株)電通という会社があることを知りました。早速オンラインで応募をして日本に帰ってから複数回の面接を経て、採用していただける運びになりました。
(株)電通ではスポーツ局に配属されて、世界規模で行われているスポーツの国際大会などの放映権を取り扱う部署に配属されました。例えばワールドカップなどのサッカー、全英オープンや全米オープンなどを含むゴルフでも、これらの放映権を保持する権利元は外国の組織であるため、そこでの仕事は英語を使うことがとても多く、アデレードで身に付けた英語は大いに活きました。
(株)電通での仕事を通じ、広告業界という世界を知る中で、(広告代理店における)ある特定の職種に興味を持ち出しました。その職種を追求する為に、世界4大広告代理店グループの一つであるPublicis Groupe(ピュブリシス・グループ)に転職して、ストラテジックプランナーというポジションに就きました。その後、ステップアップの為に更に転職もしましたが転職先の広告代理店でも引き続きストラテジックプランナーとして仕事をしています。


全英オープンの仕事でスコットランドに行った際、プロゴルフ界の世界的レジェンドであるトム・ワトソンとの一枚。(電通時代。2013年)

ストラテジックプランナーとはどのような仕事ですか?

広告代理店業界では基本的に営業職がクライアントのニーズを把握し、それをクリエイティブ職が最終的な制作物として形にしていきますが、ストラテジックプランナーはその間に立って、クライアントの目標達成のためにきちんとした理由を持って具体的な内容を決める役です。ざっくり言うと、求められている目標や形に到達するにあたり、存在する問題を明確にし、また解決方法を導き出し、最終的にその目標や形へ最も適切だと考えられる方法で進む為の道標を創造し表示する、です。イメージがしやすいように他の職種に喩えるならば、簡単に言うと"栄養士"とか"献立を考える人"みたいな存在ですかね。
例えばレストランで、フロアスタッフがお客様から"体が温まるものを食べたい"という注文をいただいた場合、お客様の"体を温めたい"という目標は達成するための手法はいくつかあります。単純に温かいスープでも良いかも知れないし、生姜を使った料理で体を内側から温かくするというのも一つかも知れません。ストラテジックプランナーはそのような状況で、その時に何が最も適切かをきちんとした根拠をもとに判断して、それを最後シェフに料理として形にしてもらうという仕事。そんなイメージです。


エージェンシー(広告代理店)におけるストラテジックプランナーについてのインタビューを受けた際の一枚。(2018年頃)

今はどちらでお仕事をされていますか?

現在は、僕が広告業界に入った当初からずっと、かれこれ10数年ずっとリスペクトしていたR/GA(アール・ジーエー)というデジタルやテクノロジーをベースにしたクリエイティブを強みに持つ新進気鋭なエージェンシー(広告代理店)です。本社はニューヨークにあり、世界18ヵ国ほどに展開し、日本オフィスに関しては現状約40人(もちろん日本人だけではなく、世界各国の人種から成り立つグローバルかつ多様なチーム)ほどから成り立つ、正に少数精鋭な集団だと思っています。R/GA(アール・ジーエー)というエージェンシー(広告代理店)は、正に全世界における広告業界に対し、ディスラプション(既存の者を破壊してしまうくらいの力を持った革新的なイノベーション)をもたらした、と言われる程のインパクトを持ち、また広告にとどまらない施策などでクライアントである企業のビジネス課題等を解決し、広告業界の慣例的なビジネスモデルをもディスラプトし続けている、世界でも稀な、そして日本には到底存在し得ない様な、正に唯一無二なエージェンシー(広告代理店)です。この様な形で、世界的に広告業界では常に新しいことに挑戦し続ける企業として知られていて、グローバルレベルでは、例えばナイキなど含む、いわゆる「常に進化し続けるブランド」なども、R/GAのクライアントの一つとして存在します。


2022年1月より、ニューヨークに本社を持つエージェンシーであるR/GAに入社。(自宅にて。2022年)

アデレードでの経験が今の仕事にどのような影響を与えていますか?

もちろん「言葉や言語としての英語」という観点から見ると、分かりやすい形で(英語は)仕事をするにあたり役に立っていますが、何よりもアデレードでの生活を通して学んだ一つである「世界ってこんなに広いんだ」ということに気がついたことが、今の仕事にもとても役に立っています。僕はアデレードで世界の広さを身をもって感じることができました。アデレードでは日頃から世界中の人と接していたので自分の中ではそれがノーマルになっています。つまり、人は(お互いに)違って当たり前で、むしろ違うことをリスペクトする重要性が肌身に染みていることだったり、人をリスペクトした上で自分の意見もしっかりと言う姿勢を持つ、などの重要性も学びました。国外のオフィスとのコミュニケーションの中で、そのような世界スタンダードで仕事ができていることはアデレードで培った経験のおかげだと思います。


AMEニューヨーク広告祭の審査員に選出

これからアデレードとどのように関わっていきたいですか?

僕は日々クライアントのビジネスの更なる成長を、クリエイティブな観点からであったり、またはマーケティングやブランディングの観点などから考えさせてもらっていますが、それのアデレード版をやりたいです。つまり、アデレードという街全体のブランディングです。日本では残念ながらアデレードの知名度はとても低くて、多分「アデレード」と聞いて分かる人は100人に1人もいないと思います。アデレードのある南オーストラリア州は資源が豊かで、宇宙産業もあり、これから日本にとっても重要になる水素産業も成長していますが、日本の消費者はほぼ誰もそんなことは知りません。もちろん、それは日本の消費者の問題ではなく、アデレード側の本来行うべきブランディングがなされていないという問題です。"世界の住みやすい街"のトップ10で毎年のようにランキングに入っているのに、全然知られていないというのはどう考えてもアデレードという街を(特に日本に対して)適切な形でブランディングできていない、という結論に至ります。なので、機会があれば、やってみたいですね、アデレードの街全体のブランディングを。もちろん、この仕事であればプロボーノ(無償)でもやります。(笑)


今後のアデレードとの関係について考える。(自宅にて。2022年)

最後にアデレードのお気に入りの場所を教えてください。

カフェでゆっくりと(友達などと)話しながらコーヒーを飲むのが好きだったので、例えば、個人的にはノース・アデレード のMelbourne StreetとJerningham Streetの交差点にあるCIBOやその向かい側にあったカフェなどが好きでした。家からも車で5分くらいのところで、よく行っていました。他にも、街中のRundle Stなどのカフェにもよく行きました。あとは、セマフォーのビーチも良かったですよ。グレネルグなどの有名なビーチに比べて人も少なくてとても良い雰囲気でしたね。

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