大吉オーナー アンドリュー氏の焼き鳥人生 前編
日本で1200店舗以上を誇る「やきとり大吉」がアデレードにやってきて、3年4ヶ月になる。
2007年後半に、「やきとり 大吉」 から、より地元オーストラリア人にも覚え易い 「やきとり 匠(TAKUMI)」 に名称変更。こだわりの焼鳥屋として、人気が定着している。
オーストラリア人でありながら、日本の “おもてなし” と ”心配り” を第一に考える名物マスター・アンドリュー氏に、焼き鳥との出会いや魅力、現在に至るまでを熱く語ってもらった。
この記事は、Go Go Adelaide 出発の原点でもある、アデレード・メルボルンのコミュニティー情報誌 Hibiki Magazine の
2007年夏号・秋号・冬号(1月~9月)に、3度にわたり掲載された記事を一部加筆修正し、公開しています。
インタビュー 2006年11月 聞き手・編集 TAKA
2008年5月 TAKA
アデレード大吉の店舗にて
妻・かよ子さんと出会い、1997年に日本へ渡ったアンドリュー氏は塾講師として勤めていたが、我が子の誕生という人生の転換期を控え「閉塞感を打ち破るために、新しい何かに挑戦したい!」 という気持ちが強くなったという。
大吉との出会い
妻の出産を間近に控えた頃、ふと赤ちょうちんの目立つ「やきとり大吉」に入った。その時の元気で温かいもてなしに、大きな感動を覚えた。
そして偶然翌日、テレビで「30代のホンダのエリートエンジニアの男性や60歳のおやじさんが大吉マン(オーナー&マスター)を目指す」番組を観て「俺も大吉マンになり、挑戦したい!」と心を突き動かされたのだった。
早速、大吉・社長へ「チャレンジしたい!」と手紙をしたためたが、1通目の返事は来ずじまい・・・
だが、夢は膨らむ一方。かよ子さんの愛も手伝って、慣れない敬語で2通目、3通目と手紙を送り、社長の返事を待つことに・・・ そして、ついに社長に会う事が叶い、熱い気持ちが伝わった。
ここにアンドリュー氏が大吉マンになる一歩が踏み出されたのであった・・・
~大吉で独立するには~
社長との面談で「見込みあり」と認められれば研修店での研修
→ 期間は、短い人で3ヶ月、長い人は3年、と習得スピードにより異なる。

辛い研修時代
アンドリュー氏が研修したのは、松江駅前店。
そこで師匠となる日高マスターと運命的な出会いを果たす。マスターは英語が流暢で、留学生も常連の人気店を切り盛りしていた。
後年、アンドリュー氏がアデレード店をオープンした際も“助っ人”として駆けつけてくれた。
調理経験もあったアンドリュー氏だったが、研修は何度も挫けそうになった。毎朝9時~深夜2時まで続く生活リズム。日本人でも過酷だが、さらにアンドリュー氏には言葉の壁が立ちはだかる。
「丁寧語も社長に対して と、普通の人に対してとでは違い、商売独特の言い回しや専門用語が大変で、それらを覚えるため毎日数時間しか寝られなかった」と氏は語る。
だが、2000年5月、ついに努力が実り、無事3ヶ月で研修を修了することに。
日本で自分の店をオープン・・・・そして
その後4年間、日本で自分が経営者&マスターである店を持った。
人生設計も考えるようになり、息子が8歳ぐらいになった時、英語も日本語もマスター出来るようアデレードに帰るつもりだった。だが、そんな矢先、人生の大きな転換期を迎える。
社長から「海外で店を出したい!」 との話が舞い込み、4年間繁盛した日本の店を畳み、故郷・アデレードに予定より早く移住する結果となる。
「オージーは日本料理と言えば、まだまだ寿司や鉄板焼きをイメージする人が多いが、オージーはBBQ好き。
それならYAKITORIは売れるはずだ」。
夢一杯、やる気一杯の気持ちを胸に家族を連れて日本を発った…
Hibiki Magazine 2007年夏(1月-3月)号 より


