
オーストラリアに移住してきた
あるベトナム難民の話
1970年、南ベトナムの小さな町でSさんは生まれた。
「父は小さな工場を経営していて、僕たちは、大きなテレビのある3階建ての家に住んでいた。その頃の母は何もしなくてよかった。たくさん使用人がいたから。子どもたちにも、それぞれ専属のナニーがついていたんだよ。」
ベトナム料理といえばベトナムのうどんと呼ばれている フォー(Pho)を思い出す人も多いのでは・・・
裕福な華僑の家に生まれ、何不自由ない生活をしていたSさんの人生は、ベトナム戦争によって大きな影響を受けることとなる。
「1976年、ベトナム戦争の終結によって、南北ベトナムが統一され、民族の独立が得られたって言うけれど・・・。結局、僕の国、南ベトナムは戦争に負けたんだよ。よその国の人には北ベトナム人も南ベトナム人も同じに見えるんだろうけど、全然違う。考え方が違うんだ。南ベトナムはアメリカの支援によって成立した資本主義の国。北ベトナムは社会主義。」
負けた方の国の人間は、当然、海外への脱出を考える。
「いざという時のために僕の父は船を用意していた。船に全財産積み込んで、準備万端だった。船長も雇っていた。大きな船だったから、よそのファミリーも乗せてあげることにしてたんだよ。」
ところが、その船、なんと船長によって持ち逃げされてしまう。
「信じていたのに。裏切られてショックだった。あの船長は、僕たちの船、全財産、海外へ脱出して生きていく希望、全てを持ち逃げしたんだ。」
それからSさん一家は、ベトナム国内で逃亡生活を送ることとなる。軍に捕まることを恐れて、各地を転々とした。一度出た家にはもう戻れなかった。すでに軍によって没収されていたから。軍事政権下のベトナムでは、軍による略奪は日常茶飯事。裕福な暮らしをしていた者ほど狙われた。軍の横暴を訴えたくても、どこに訴えればいい?彼らが法律なのだ。海外への逃亡をはかった者は、牢獄行き。裁判も何もなかった。
幸いなことに、Sさん一家は親戚・友人たちからお金を借り、再び船に乗るチャンスを得る。船を失って約1年後のことである。
「海外へ脱出できたベトナム人っていうのは、ある程度のお金を持ってた人たちがほとんどだよ。誰もタダでは船に乗せてくれないからね。どの船も、もちろんぎゅうぎゅう詰め。食糧も水も十分ではなくて、船内で餓死する人もいたし、タイやマレーシアの海賊に襲われる危険もあった。船によっては途中で沈没したり。命がけの逃避行だよ。僕たちの船はどうにか無事にマレーシアの海岸に着いた。そして、僕たちは難民キャンプに送られた。そこで、最終的にどの国に移住したいのかというインタビューがあって、僕たちはオーストラリアを希望した。希望どおりオーストラリアに受け入れてもらえて、僕の家族は本当にラッキーだと思う」
多くのベトナム料理屋が並ぶハンソンロード
1979年、Sさん一家はオーストラリア・アデレードの土を踏む。夢と希望を胸に新しい人生のスタートを切った一家だが、財産はないし、英語もできない。何もかも大変だった。
「父は午後から翌朝の2時まで工場で働いて、さらに早朝4時からグレープのピッキングをしにファームへ行って働いた。母も、父と一緒にファームに行って働いた。7人の子どもを養うために、二人とも、寝る間も惜しんで働いたよ。ギリギリの生活だったけど、少しずつ貯金して、父は自分のビジネスを始めたんだ。父の大学時代の友人が、メルボルンでビジネスマンとして成功していて、その人がお金を貸してくれた」
一方、子どもたちは、学校で、少しずつ英語を身に着けていった。
「よくいじめられたよ。今でこそ、アジア系住民も珍しくはないけれど、その頃、僕たちは学校で唯一のアジア系ファミリーだったし、全く英語もできなかったしね。特に先住民族の子どもたちにはよくいじめられたなあ。『チンチョン( 中国人に対する蔑称)、ゴー ホーム!』ってね。それでも帰るわけにはいかない。どこに帰れって言うの? 僕たちにはもう帰る国がない。家もない。オーストラリアでがんばるしかない。」
ベトナム料理レストランの店内イメージ
15年ほど前、Sさんは、脱出後初めてベトナムを訪れた。
「大丈夫だとは思ってたけど、それでもちょっと怖かったよ。もし捕まって、投獄されたらどうしようってね。僕の生まれた家はまだあったよ。政府の事務所のような感じで使われてた。僕の家だから返してくれって言っても、返してはくれないんだろうな。まあ、今さら返してもらっても、住む気もないけど。」
ちょっと意地悪かなとも思ったが、もし今、あの裏切り者の船長に再会したらどうするか、Sさんに聞いてみた。
「どうするって言われても・・・、どうもしないよ。もう過去のことだ。でも、笑顔で握手できるかって言われたら・・・、できないね。人づてに聞いた話だと、僕たちのあの船は、アメリカにたどり着いたらしい。いい船だったし、燃料も食料もたっぷり積み込んでたからね。もしあの船で計画通りに脱出できてたら、もっと楽だったのにと思うけど。」
ベトナム料理の1つ ベトナミーズロール
$4前後と安くてうまいアジアンファーストフード
ハンソンロード界隈には専門店も多い
Sさんは今年37歳になった。英語にはもう不自由しない。両親が始めた商売を継いで、オーストラリア人として、幸せに暮らしている。彼のたくさんいる兄弟・姉妹も皆、オーストラリアで元気に暮らしている。両親も、悠々自適の老後を、オーストラリアで送っている。
最後に、もしオーストラリアとベトナムが戦争を始めたらどうするか、聞いてみた。Sさんは笑顔でこう言った。
「もしもオーストラリアとベトナムが戦争を始めたら、僕は迷うことなくオーストラリア兵に志願して、オーストラリアのために戦うよ。僕はオーストラリア人だ。」
アデレード北西部 Hanson Road 近辺には、今も多くのベトナム・レストランや食材店がベトナム語の看板と共に並ぶ。安くて美味い本場のベトナム料理が味わえるのは、アデレードでもこのエリア!

