北京オリンピック特集
沖美穂と松吉さんのAdelaide Days
シティから南に車で約50分。Basket Rangeと呼ばれる山間のSuburbがある。
ここに古びた城のような外観のホテルが身を隠すようにひっそりと佇んでいる。
この辺りの風景は、荒涼としたアウトバックや広大な牧草地、といった典型的なオーストラリアの風景とはやや趣きを異にしている。なだらかな丘陵の斜面に生えるブドウの木々、その手前に広がる長閑な田園風景はどことなくヨーロッパの片田舎の風景のようだ。
その田園地帯にカラフルなウェアを着た自転車の集団が一列縦隊で滑るように走っていく。
毎年2月頃、日本からやってくる自転車ロードレース日本女子ナショナルチームの選手たちだ。
シーズンのはじめに彼らは陽光眩い真夏のアデレードにやってきて、この古城のようなホテルに約一ヶ月弱ほど滞在しシーズン前の合宿を張る。
そして3月になった頃、メルボルン近郊のジーロングのW杯、そしてニュージーランドのW杯とレース地へと飛び立っていく。まるで渡り鳥のような生活だ。

その一列縦隊の集団を先頭で引く明るいブルーと白のウェアは沖美穂。
日本女子自転車ロードレース界の第一人者だ。
高校時代にスピードスケート500mで高校総体優勝。実業団でもスケート選手として活躍したが、22歳のとき自転車競技に転向。1997年全日本選手権ロード優勝。2002年には日本人女子ではじめて自転車競技の本場、欧米のプロチームと契約し、6年目の現在はイタリアのプロサイクリングチーム、メニキーニ所属。2006年ジーロングW杯2位。2004年同大会3位。シドニーオリンピック41位。アテネオリンピック20位。国内ではほぼ無敵で、2008年まで前人未到の全日本選手権11連覇という偉業を達成している。34歳。
沖を先頭に疾走する車群はあっという間に目の前を通り過ぎる。一陣の風に頬を叩かれたかのように一瞬キョトンとした後、私は我に帰り、慌てて車の助手席に乗り込む。エアコンの調子の悪いオンボロの白いワゴン車。窓から射す陽射しで真夏の車内はすっかりサウナのようになっている。運転席に乗り込んでエンジンをかけるのはコーチの高橋松吉さん。
スポーツ好きの私は、何年か前、知人の紹介で彼らと知り合いになり、運よく練習を見学させてもらうことができた。フィジオセラピスト(理学療法士)である私の仕事は、人の体の動きを見ることなので、トレーニングや、自転車の技術のことなどいろいろな話を聞かせてもらえるのはとても面白い。
毎年、時間を見つけて山奥まで練習を見に来る物好きな私にすっかりあきらめがついたのだろうか、松吉さんは私を監督車に乗せてくれるようになった。
「いやあ、来てくれて良かったよ。監督車ってのも暇でさあ。
すごい暑いし、なんか話し相手でもいないと退屈で嫌んなっちゃうよね。」
松吉さんは嬉しそうに言う。いつもニコニコとした笑顔の人の良さそうな近所のおじさん、といった印象。
でも松吉さんは実はすごい人だ。自転車ロードのロサンゼルス五輪日本代表。
しかし松吉さんはそんなことを偉ぶるようなところは一つも無い。一緒に酒を飲んだときに松吉さんにせがんで、オリンピックの話しを聞かせてもらうと「オリンピック?あのさ、実家が田舎だからさ、近所の人にオリンピック出るって言ったのよ。
そしたら、そんな大会より、なんで地元の国体走らないんだ、って本気で聞かれちゃってさー。参っちゃったよ。」と笑った。
私がはじめて松吉さんと会った年、松吉さんは日本ナショナルチームの監督だった。でも何年か前に協会が北京オリンピックに向け新たな体制作りをしたことで、松吉さんは監督の職を失った。それでも松吉さんが、合宿に来ることができるのは沖との固い師弟関係があるからだ。
オリンピックに出るためには、自転車ロードの国際連盟が定めた大会での結果をもとにUCIポイントと呼ばれるポイントを貯めていくと、獲得ポイントによってその選手の国に枠が与えられる。日本に与えられるポイントのほとんどは沖が世界のレースで獲得してきたものなので沖はほぼ自動的にオリンピック代表に選考される。
その沖は松吉さんに全幅の信頼を寄せているため、ナショナルチームの監督を辞めたあとも、松吉さんは沖の個人コーチとして派遣されてアデレードに来ているのだ。
「良かったよ。今年もアデレードに来られて。今年は予算も出してもらえてさ。贅沢はできないけど、ありがたいよね。」


