
世界からの移民シリーズ Vol.5
トルコからの移民
2008年1月、トルコ出身のムハンマド(仮名)にようやくと永住ビザが下りた。
永住ビザがあれば、メディケアにも入れる、移民向けの英語プログラム AMEP(Adult Migrant English Programme)にも参加でき、510時間までは無料で英語の授業を受けることが可能になる。選挙権以外は、オーストラリア市民権を有する人とほぼ同じ権利を有することになり、オーストラリアでの生活がしやすくなる。
移民にとって、永住権を持っているかどうかは、直接生活に関わってくる重要な問題だ。在オーストラリア歴4年目にしてようやく手に入れた永住権は、本人ですら何度目の申請で手にしたものかわからない。
アジアとヨーロッパの架け橋 トルコ
船はオーストラリアの北端、ダーウィンにむかっていた。
オーストラリア大陸が目の前にせまってきたとき、ムハンマドは友人とともに船をとびおり、タクシーに乗り込んでその場を逃げ出した。
小さな町の教会に逃げ込み、助けを求めたが、あいにくと牧師は留守だった。途方に暮れながら、ムハンマドと友人はダーウィンの奥地のジャングルに身を隠した。4日間、ジャングルではココナッツを食べて飢えを凌ぎ、水溜りの上水を飲んで乾きを潤した。今にしてみれば、「ラッキーだった」と彼は言う。ダーウィンには無数のクロコダイルがいるが、彼らはクロコダイルに襲われることなく、ジャングルで生き延びた。
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トルコといえば観光地のカッパドキアを
思い出す人もいるのでは・・・
トルコといえば観光地のカッパドキアを
思い出す人もいるのでは・・・
とある町のマーケットで警官に声を掛けられ、2日間警察署で寝泊りをした。その後、2人はダーウィンの刑務所に入れられ、4日間をそこで過ごした。警官に保護されたとき、彼らは英語は片言ぐらいしかわからず、何故自分が手錠をかけられて刑務所に入れられなければならないのか、理解できずにとまどった。彼らに不法滞在という認識はこのときにはなかった。その後、ムハンマドと友人とは別々の拘置所に入れられ、永住権を取得するまでの4年間を移民勾留センターで過ごすことになる。
センターでは、毎日のように英語の授業があった。初めは片言しかわからなかったのが、やがて上級レベルのクラスで勉強するまでになった。
だが、次第に授業には出なくなった。先の見えない不安とストレスから、問題行動を起こすようになった。カウンセリングを受けたり、投薬治療も行われた。ムハンマドの怒りの原因は、なぜ自分がセンターに入れられているのか、理由がわからないからだった。「不法滞在というが、僕は会社側から逃げてきただけ。助けを求めたのに、手錠をかけられ、まるで犯罪人扱いだった。ビザの申請を何度もしたけど断られ続け、関係当局に手紙を送って返事は1年後ということもざらだった」。将来への不安と憂鬱に押し潰されそうになっていたとき、ようやくビザが許可された。
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イスタンブール
イスタンブール
ELSでの授業は彼にとって憩いの場であり、「今は“休暇”を楽しんでいるところ」。晴れて永住権を獲得した今、今後の将来については、「明日のことはわからない」と言う。
5年ほど鉱山で働いて貯金し大学に進むか、大学でマイニングエンジニアの勉強、資格を取るか決めかねている彼は、情報収集に余念がない。「4年間も何もせずに無駄に過ごした。その時間を思うと、今でも怒りがこみあげてくる」。
ムハンマド31歳、「大学で勉強し、卒業後に就職したとしたら、いくつになっているだろうか」と、時間を気にしている。できたら結婚もしたい、家族も持ちたい、そう願っているが、大学を卒業したころには30代後半にさしかかっている。
「明日のことはわからない、明日になったら気が変わっているかも」というムハンマドにとってひとつだけ確実なことがある。それは「オーストラリア市民権を取得する」こと。「市民権をもっていれば、何かトラブルに巻き込まれたとしても国外追放になることはないからね。それに、オーストラリア市民であれば、大学の費用など、政府から援助が受けられるようになる。市民権を取るメリットは大きいんだ」。「明日は何が起きるかわからない」という彼の当座の目標だ。市民権申請の条件は、永住権取得後、4年間オーストラリアに在住すること。
時間との戦いが再びムハンマドを待ち受けている。
Written by Suzy

